どうしてこうもアブラムシの名前は長いのが多いのか非常に疑問なのですが、とりあえず微笑ましい親子の写真です。
親子なのは微笑ましいのですが、アブラムシということで一般的には害虫の部類に入ります。
撮影したアブラムシは、ヨモギについていました。
栽培しているわけでもなく、いわゆる勝手に生えている雑草です。
しかし、この勝手に生えているヨモギがあったからこそ、去年はこのヨモギに集まるいろいろな昆虫の写真を撮ることができました。
草刈りという行為は毎年やるのですが、いつも全部を刈らずに一部を残しておきます。
そうすることで、そこでいろいろな生き物が生活するようになります。
最近は民主主義というか町内馴れ合い部落というか、やたらに管理された居住環境をヒトという生き物は作りたがります。
石ころひとつ落ちていない舗装路、緑一色の芝生しか生えていない土、やたらにばらまかれる殺虫剤や除草剤、ちょっと考えると、ヒトはかなり勝手です。
きれいであればいいのか、危なくなければいいのか、アナログなヒトがデジタルな行為を繰り返しています。
ちょっとくらい雑草が生えててもいいじゃないか、このちょっとの気持ちが、たくさんの生き物の命をつないでいくと思うのです。
ひとつの植物にはたくさんの昆虫が集まることは、以前に書いた記事のとおりです。
コンクリートで360°囲まれて生きるのは、ヒトには無理です。
同様に、草ボーボーの中で生きるのも、ヒトには無理です。
でも、庭の隅っこのほうに、ほんのちょっとだけ雑草を残しておくぐらいのことはできるかもしれません。
人は、かっこ悪いねと言うかもしれません。
でも、雑草を残すことをかっこいいと思えるのは、どの生き物よりも進化したヒトだけかもしれません。
話が飛びすぎですんません(^^ゞ