2007年12月31日
冬眠中のカタツムリ

親カタツムリの写真です。
冬眠したてのころは普通にくっついていますが、時間とともに体が奥へ奥へと引っ込んで、今ではここまで引っ込んでいます。


冬眠中のカタツムリ

こちらは、子カタツムリです。
最近ようやく厚く膜を張れるようになり、コロンと落ちる個体が無くなりました。
みんなしっかり膜を張り、壁にくっついて静かに冬眠中です。

今日は大晦日ということで、2007年も終わろうとしています。
今年もたくさんのコメントをいただき、ありがとうございました。
たくさんの方々のブログを見たり感想を聞いたり、大変勉強になりました。
飼育をしている方や生き物に興味をもたれている方とお話しができて、楽しい1年でした。
どうか、良い年をお迎えください。
posted by ぁぃ♂ | 岩手 🌁 | Comment(2) | カタツムリ〜2007年 | 更新情報をチェックする
2007年12月29日
子どものころには昆虫はおもちゃのようなもので、かなり下等で見下すことも多いのですが、大人になってゆっくりじっくり向き合ってみると、なんとも言えないような経験をすることがあります。

■殺意物質論
カメラで昆虫を接写するとき、不思議と逃げることが少ないです。
『逃げないでねー』と思いながら構えると、その確率は高くなります。
このような現象は人間界では何と言うのかと言えばテレパシーになるでしょう。
しかし、テレパシー自体は何者なのかはよくわかっていません。
もし昆虫がそれを捉えているとすれば、化学物質のようなものかもしれません。

『殺意』という言葉がありますが、一方が他方を狙うときに出る何かがあるとすれば、それを人間界では『殺意』と言います。
似たようなものとしてわかっているものでは、アドレナリンがあります。
怒りを感じたときに分泌される化学物質です。
これと同じようなもので液体でも固体でも気体でもなく、電波のようなものがあるとすれば、昆虫や他の生き物も含めてそれを感じ取ることができているかもしれません。

『逃げないでねー』と思っている生き物からはこの物質は感じず、捕獲して虫かごに入れようとして狙っている生き物からは感じるのかもしれません。

もしこの物質があるとしても、それは全昆虫に通じると考えるのは不自然です。
種類ごとに知能にも差があり、生態の違いで感じ方の強弱や別の種類で感じ取るものもいると考えたほうが自然です。
自分の経験から言えば、アリはわかりやすいです。意外なのはワラジムシなんかもわかりやすいです。こちらの何かを感じ取っているようすがわかります。

殺意物質論というのは、敵は敵、敵じゃないのは中立か味方という考え方です。
マイナスの物質の有無でプラスマイナスを判断しているかんじです。


■愛情物質論
これは、普遍的かつ長期的に愛情を注いだ場合、それを感じ取るという考え方です。
心配したり気にしたりする感情は、パワフルな種類に属すると思います。
謎の物質があるならば、それは他の物質よりもはるかにとてつもなく強く発せられるものかもしれません。
一生懸命看病したのに死んでしまって、何もしてあげられなかったと思っていても、実は生命維持の物質を送り込んでいたかもしれません。
ゲームの世界では、呪文でHP(生命力)を上げるということが行われています。これと似たようなことです。

魚でも子育てをする種類があり、子孫に対しての一種の愛情を持つものも現に存在します。
発するものが存在するならば、それを感じていても不思議ではありません。

病気で動けなかった小動物が、亡くなる前に元気に走って見せたという体験を、知人はしています。
元気なときもずっと可愛がり、病気になってもずっと看病していた知人の愛情を、小動物が感じ取っていたような出来事です。
小動物なので高等な知能のせいか、逆に人間を思いやるようなことをしています。
生活環境を整えてあげたり、おいしいものをあげたり、いつも気にしてあげたり、病気のときに看病したり、そういうときに受動的に『ありがとう』を思うのもあるかもしれません。
能動的であれ受動的であれ、ペア的な要素もあるので、けっこう現実にあるかもしれません。


■慣れあい論
前にカブトムシを飼っていたときに思いました。
卵のころから成虫になるまでの一貫した飼育で、何度もマット交換などで体にさわっていました。
すると、そのような育ち方をしたカブトムシの成虫は、人間を恐れたり警戒したりするような動作を見せなくなりました。
昆虫ゼリーをあげると猫まっしぐら状態になり、ケース掃除のときは暴れずにじっとしていました。
これは、危害を加えないことを理解した例です。


■総論
これらは、それぞれが独立した固有のものではなく、複数のものがその割合を変えて複合的に表れるものだと考えます。
4:4:2かもしれませんし、6:4の二つだけかもしれません。
いずれにせよ、いろいろな生き物を長く飼っていると、このような何かが無ければ説明がつかないことがかなりあります。
昆虫も生き物であり、何かの疎通をしているはずで、それが人間とでもできることがあるならば、ああそうだったのかと理解できることが多くあります。
犬や猫があれだけ感情豊かでさまざまな場面を人間との間に見せてくれるのであれば、昆虫にはそういうものがゼロであるとは言い切れないと思います。
犬や猫よりは少なくてわかりにくいので、普通は感じなく、共有する時間が長かったり深く見つめたりしたときに感じるのかもしれません。
昆虫飼育の魅力のひとつに、意思の疎通ができた喜びというものがあると思います。
ロボットみたいな機械的な体で人間を無視し続けると感じるならば、誰も昆虫を好んで飼わないと思います。
仮に観賞用として飼っていても、すぐ飽きてしまうはずです。
そのような感情が残念ながら犬や猫に対しても存在する昨今、捨て犬や捨て猫が絶えません。非常に悲しくて残念なことです。
お互いに通じる何かがあれば、犬や猫はもちろん、昆虫だって捨てるということはしないでしょう。
可愛がるからわかってくれる、わかってくれるから可愛い、この当たり前のことが昆虫にさえ言えるのだということをわかってくれる人が増えれば、生き物を飼育するということがどんなにすばらしいことか理解されるのかもしれません。
虫けらとはよく言ったもので、とんでもない、犬も猫も昆虫も単なる分類学上の名称で、それらは全部『生き物』なのです。
姿や形や生態で別の種族になってしまった生き物といっしょに暮らすことは、特に変わったことではありません。
地球は人間の星なんだという考え方を排除すれば、それはいとも簡単に理解できることです。
いろいろな生き物とふれあう人間が増えたらいいなと思いつつ、本日の考察を終わりたいと思います。

.........@ノ”<もすこし短くまとめられないのかよっ        (*^^*ゞ
タグ:飼育 昆虫 考察
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☁ | Comment(4) | 真剣考察 | 更新情報をチェックする
2007年12月27日
オオカマキリの埋葬

2ヶ月ほど前、ちょうどここの上の壁にいました。
おぼえている場所だと思うので、静かに眠れると思います。
墓石代わりに、四角い石を置きました。
時とともに、ゆっくり土にかえります。
オオカマキリよ、安らかなれ。
posted by ぁぃ♂ | 岩手 | Comment(2) | オオカマキリとイエコオロギ | 更新情報をチェックする
2007年12月26日
オオカマキリ さようなら

今朝までは腹の触角を動かしてたね

でも昼に見たら動かなくなってた

全ての質量を重力にまかせ

今は土に吸い付いている

ぼくの顔を見るとカマを伸ばし

手を差し出すと手から腕へと散歩をし

床に放すとぼくを追いかけ

君は本当にカマキリだったの?

ぼくたちは住む環境も違えば食べ物も違う

体のつくりも違えば生き方も違う

でもぼくは君を求め、君はぼくを求めた

はじめはぼくは君のことが怖かった

鋭いカマや大きな口でケガするかと思ってた

でも君は決してぼくをカマで挟まなかった

大きな口で噛み付いたりもしなかった

君の知能をあまく見てごめん

君はぼくが思うよりもずっと賢い生き物だった

君が親善大使の役割を果たそうとしていたのはわかっていた

だからぼくは君の前では素直になれた

次第に老いていくのはつらかったけど

君はそれさえもぼくに見せようとした

生き物だから老いていくのはわかっている

生き物だから死んでいくのもわかっている

わかっていることまで教えなくてもいいのに


土に吸い付いて動かない君の体

君と初めて出会った場所にあした埋めます

君からあずかった2個の卵のう

春になったら自然にかえします

必ずかえすので安心してください


クリスマスプレゼントが「思い出」なんて

人間以上のメルヘンやってんじゃねーよ

さようなら オオカマキリ

オオカマキリ さようなら
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☀ | Comment(12) | オオカマキリとイエコオロギ | 更新情報をチェックする
2007年12月25日
オオカマキリ、今夜が山

左カマに加えて右カマも動かせなくなったオオカマキリに、ミルワームを食べさせました。
ミルワームを切断し、内臓を取り出して体液だけを与えます。
口もとにある何本もの触角を動かしながら、少しずつ体内へとはこんでいきます。
けっこう長時間口もとにくっつけたので、減っていって食べていることは確認できました。
少しでも栄養をつけて、体力の維持につながればと思います。

上体を起こすこともできず、頭を動かすこともできず、命の灯火が小さくなっています。
今日初めて見たときも、脚1本でかろうじてふたにぶら下がっていました。
他の脚をかけることもできず、ぶら下がるのはもう無理のようです。
4本の脚はまだ動きますが、ひっかけるような繊細な動きができません。
右カマは、ふ節も含めて動かなくなっており、歩くこともできません。


オオカマキリ、今夜が山

上半身の写真を比べてみると、左カマの黒い変色が体のほうに転移しているのがわかります。(右の写真)
左の写真では、まだ緑色です。
右カマも動かなくなったのは、左カマから転移した黒い変色が右カマの付け根にまで達し、それで関節がだめになったと思われます。

状況から判断して、今夜が山だと思います。
防寒用の真っ暗なダンボールの中で逝くのはかわいそうなので、家に連れてきました。
携帯カイロの上に飼育ケースを置き、暖かい乾いた土の上で休んでいます。
最後ぐらいは、少しでも長くいっしょにいたいと思います。


オオカマキリ、今夜が山

家に連れてくる前、ほとんど動かなくなった右カマを強引にふたにかけ、『いっしょにいて』と話しかけてきたような気がしました。

『そのつもりだよ』と応えました。
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☁ | Comment(0) | オオカマキリとイエコオロギ | 更新情報をチェックする
2007年12月24日
昨日、夢にオオカマキリが出てきました。
いつもはケースのふたにぶら下がっているのですが、地面に落ちて動かなくなっている夢でした。

あいつのことだから、あのオオカマキリのことだから、絶対に夢で教えたんだと、急いで会社に行ってみました。

生きてました…

ただ、様子が悪化していました。
きのうは呼吸が荒い状態で、腹の伸縮が大きかったのですが、今日はさらに伸縮が大きくなっていました。
それも、横方向だけでなく、縦方向にも大きく伸縮し、呼吸とは思えない動きをしていました。

何かを出そうとしている動きのように感じ、ずっと観察していましたが、何も出てきませんでした。
ふんかもしれませんし、卵巣かもしれません。また、寄生虫かもしれません。
気になったのは、腹の色がところどころ黒くなっている部分がありました。
その異変に、縦方向に伸縮させているのかもしれません。
しかも、カマキリの顔の向きは、ずっと腹のほうを見ています。
異常な状態が起こり、カマキリ自身もそれに気づいているようでした。

飼い主が状況を悪く判断してあきらめてしまうことは良くないことですが、生物飼育という目で冷静に判断すれば、明らかに危険な状況です。
あと数日かもしれません。

いつものように携帯カイロの上に飼育ケースを置き、ダンボールの箱をかぶせる前に、『がんばれよ』と言いました。
きのうも同じように言いました。
カマキリのほうは、何かを案じてるがごとく、何も話してきません。
余計に心配なわけです。

一日一日とますます苦しそうにしているカマキリ、このままの状態が明日もあさっても続くのなら、もう『がんばれよ』とは言いたくありません。
明日は、気にしなくていいよとでも言ってあげたらと思っています。

決めました。
明日、会社から家に持ってきます。
24時間のうち暖かい気温の時間が多いのは、家のほうです。
観察してあげられる時間が多いのも、家のほうです。
あいつは、ぼくが助けたことを理解しています。
だから家に持ってきます。
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☔ | Comment(0) | オオカマキリとイエコオロギ | 更新情報をチェックする
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