子どものころには昆虫はおもちゃのようなもので、かなり下等で見下すことも多いのですが、大人になってゆっくりじっくり向き合ってみると、なんとも言えないような経験をすることがあります。
■殺意物質論
カメラで昆虫を接写するとき、不思議と逃げることが少ないです。
『逃げないでねー』と思いながら構えると、その確率は高くなります。
このような現象は人間界では何と言うのかと言えばテレパシーになるでしょう。
しかし、テレパシー自体は何者なのかはよくわかっていません。
もし昆虫がそれを捉えているとすれば、化学物質のようなものかもしれません。
『殺意』という言葉がありますが、一方が他方を狙うときに出る何かがあるとすれば、それを人間界では『殺意』と言います。
似たようなものとしてわかっているものでは、アドレナリンがあります。
怒りを感じたときに分泌される化学物質です。
これと同じようなもので液体でも固体でも気体でもなく、電波のようなものがあるとすれば、昆虫や他の生き物も含めてそれを感じ取ることができているかもしれません。
『逃げないでねー』と思っている生き物からはこの物質は感じず、捕獲して虫かごに入れようとして狙っている生き物からは感じるのかもしれません。
もしこの物質があるとしても、それは全昆虫に通じると考えるのは不自然です。
種類ごとに知能にも差があり、生態の違いで感じ方の強弱や別の種類で感じ取るものもいると考えたほうが自然です。
自分の経験から言えば、アリはわかりやすいです。意外なのはワラジムシなんかもわかりやすいです。こちらの何かを感じ取っているようすがわかります。
殺意物質論というのは、敵は敵、敵じゃないのは中立か味方という考え方です。
マイナスの物質の有無でプラスマイナスを判断しているかんじです。
■愛情物質論
これは、普遍的かつ長期的に愛情を注いだ場合、それを感じ取るという考え方です。
心配したり気にしたりする感情は、パワフルな種類に属すると思います。
謎の物質があるならば、それは他の物質よりもはるかにとてつもなく強く発せられるものかもしれません。
一生懸命看病したのに死んでしまって、何もしてあげられなかったと思っていても、実は生命維持の物質を送り込んでいたかもしれません。
ゲームの世界では、呪文でHP(生命力)を上げるということが行われています。これと似たようなことです。
魚でも子育てをする種類があり、子孫に対しての一種の愛情を持つものも現に存在します。
発するものが存在するならば、それを感じていても不思議ではありません。
病気で動けなかった小動物が、亡くなる前に元気に走って見せたという体験を、知人はしています。
元気なときもずっと可愛がり、病気になってもずっと看病していた知人の愛情を、小動物が感じ取っていたような出来事です。
小動物なので高等な知能のせいか、逆に人間を思いやるようなことをしています。
生活環境を整えてあげたり、おいしいものをあげたり、いつも気にしてあげたり、病気のときに看病したり、そういうときに受動的に『ありがとう』を思うのもあるかもしれません。
能動的であれ受動的であれ、ペア的な要素もあるので、けっこう現実にあるかもしれません。
■慣れあい論
前にカブトムシを飼っていたときに思いました。
卵のころから成虫になるまでの一貫した飼育で、何度もマット交換などで体にさわっていました。
すると、そのような育ち方をしたカブトムシの成虫は、人間を恐れたり警戒したりするような動作を見せなくなりました。
昆虫ゼリーをあげると猫まっしぐら状態になり、ケース掃除のときは暴れずにじっとしていました。
これは、危害を加えないことを理解した例です。
■総論
これらは、それぞれが独立した固有のものではなく、複数のものがその割合を変えて複合的に表れるものだと考えます。
4:4:2かもしれませんし、6:4の二つだけかもしれません。
いずれにせよ、いろいろな生き物を長く飼っていると、このような何かが無ければ説明がつかないことがかなりあります。
昆虫も生き物であり、何かの疎通をしているはずで、それが人間とでもできることがあるならば、ああそうだったのかと理解できることが多くあります。
犬や猫があれだけ感情豊かでさまざまな場面を人間との間に見せてくれるのであれば、昆虫にはそういうものがゼロであるとは言い切れないと思います。
犬や猫よりは少なくてわかりにくいので、普通は感じなく、共有する時間が長かったり深く見つめたりしたときに感じるのかもしれません。
昆虫飼育の魅力のひとつに、意思の疎通ができた喜びというものがあると思います。
ロボットみたいな機械的な体で人間を無視し続けると感じるならば、誰も昆虫を好んで飼わないと思います。
仮に観賞用として飼っていても、すぐ飽きてしまうはずです。
そのような感情が残念ながら犬や猫に対しても存在する昨今、捨て犬や捨て猫が絶えません。非常に悲しくて残念なことです。
お互いに通じる何かがあれば、犬や猫はもちろん、昆虫だって捨てるということはしないでしょう。
可愛がるからわかってくれる、わかってくれるから可愛い、この当たり前のことが昆虫にさえ言えるのだということをわかってくれる人が増えれば、生き物を飼育するということがどんなにすばらしいことか理解されるのかもしれません。
虫けらとはよく言ったもので、とんでもない、犬も猫も昆虫も単なる分類学上の名称で、それらは全部『生き物』なのです。
姿や形や生態で別の種族になってしまった生き物といっしょに暮らすことは、特に変わったことではありません。
地球は人間の星なんだという考え方を排除すれば、それはいとも簡単に理解できることです。
いろいろな生き物とふれあう人間が増えたらいいなと思いつつ、本日の考察を終わりたいと思います。
.........@ノ”<もすこし短くまとめられないのかよっ (*^^*ゞ