2008年10月04日
閻魔が怒った顔のエンマコオロギ

白い線を閻魔様の眉毛に例えて、閻魔様が怒った顔ということで、エンマコオロギです。

子供のころからコオロギと言えばこのエンマコオロギで、過去に何回も飼育したことがあります。
求愛鳴き、けんか鳴き、テリトリー鳴きなどがはっきりしており、飼っていてもそのときの気持ちがわかって、なかなかおもしろい部類の昆虫です。

茹でたえだまめが大好物で、豆の殻と膜を取って二つに割って与えると、がむしゃらに食べます。
雑食性なのでキャベツなどもよく食べますが、どちらかというと肉食性の強い雑食性なので、にぼしなどの動物性のものも必ずあげなければいけません。

昔は人家の周りにもたくさんいましたが、最近では野原に行かないと姿を見ることができなくなりました。
趣味のガーデニングが普及し、それだけ農薬が一般家庭に入ってきたことも大きいと思います。
また、わからないのは排除、まばらなのは排除と、自分で植えた植物しか生えていない庭をよく見かけます。
そのような庭はアナログではなくデジタルなわけで、他の生き物にしてみれば砂漠に等しいわけです。
デジタルは確かに整理整頓されて美しいものですが、アナログにはアナログの美しさがあることも忘れてはならないことでしょう。

最近の生活スタイルの癒しは、まさにアナログにこそ存在し、癒しグッズにはアナログの要素を持つものが多いはずです。
自分以外の別の種類の生物と共存して癒しを求めるのは、いい方法だと思います。
ただ、それが犬や猫の場合、相互に対の関係になるわけで、逆に言うとその次元を超えられません。
もっと全体を包み込むもの、つまり自然であり環境というものが癒しの対象になった場合、文字通り包まれる癒しになるわけです。
「いっしょにいる」から「その中にいる」に変われば、心の安堵感はさらに高くなるのではないかと思います。
これ以上書いてるとブログが炎上しかねないので、今回のひとりごとはこれにて終了しときます(^^)
posted by ぁぃ♂ | 岩手 ☁ | Comment(8) | 気まぐれ写真館 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ぁぃさん、ぁぃさん、あんまりヒートアップすると閻魔さまみたいなお顔になりますよ!
確かにおっしゃる通りの事を感じております。
今年行ったキャンプ場もそうでした。
大手出版社のS学館とTコミュニティがコラボして作ったという珍しさに惹かれて行ったオートキャンプ場は完璧に人工的なものでした。便利で綺麗ではあるけれど、何かが物足りないのです。
夜になって気づきました、虫がいないのです。
ランタンの明かりに蛾の一匹も寄ってこないなんて…。お決まりのクワガタも全くいませんでした。
ここだけじゃなく、最近作られたオートキャンプ場はどこも同じような状況です。
自然と利便性のバランスは本当に難しいものですね。
そういう私は毎晩、猫湯たんぽで十分癒されております。(エコなのか?)
長く生きてると物事に動じなくなるところがイイのかも。いや、良くないのかな、やっぱり…
長くなってゴメンナサイ(*_*;
Posted by りんたろう1 at 2008年10月04日 23:50
>りんたろう1さん
電気毛布でエネルギーを浪費している自分が、猫湯たんぽ愛用のりんたろう1さんに言うのもなんですが、エコすばらしいです(^O^)
ところで、最近のキャンプ場なるものは芝生の上にできるようで、ゴルフでもするのかといった状況です。
「この野草は何?」とか「ギャーッ、ミミズ!」というのが自然のキャンプだと思いますねー。
Posted by ぁぃ♂ at 2008年10月05日 00:09
ウチの場合のキャンプの目的は
1.炭火でジンギスカンを食べる。
2.温泉に入る。
3.近場の観光。
今回は函館の近くだったので憧れの「ラッキーピエロ」のチャイニーズチキンバーガーも食べることができました(^○^)
…つか、キャンプ場は寝るだけ?
Posted by りんたろう1 at 2008年10月05日 23:28
>りんたろう1さん
屋外での炭火でジンギスカンいいですねー。
それだけでもキャンプした価値アリですよー(^O^)
キャンプ行って、温泉と近場の観光はないでしょw
Posted by ぁぃ♂ at 2008年10月06日 00:02
御無沙汰しています。
また教えてください。
2学期になり、ショウリョウバッタとコオロギ(ほとんどエンマ、1匹だけミツカド)を飼育しています。
最初は、美しい声?を聞かせてくれていましたが、だんだんお★様になるものも出て、声もほとんど聞かれなくなってしまいました。
元気に飛び回っていたパッタも昨日1匹★になってしまいました。
土、隠れ家、エノコログサなど、コオロギには煮干しも与えてきましたが、飼い方に問題があったのでしょうか?それとも寿命で防ぎようのないものなのでしょうか?(こんな簡単な説明じゃ判断できないかと思いますが)
このところ雨続きで雨間を見てはえさとりに行っていたので、草についている水分だけで水は与えていなかったのがやや気になるところですが、水分の与え方はどうすればいいですか?

「いい声だね〜」なんて子どもたちと喜んで聞いていましたが、鳴き方にも違いがあるんですね...全く違う捉え方をしていたかもと思うと申し訳ない気がしてきました。
Posted by クリスママ at 2008年10月07日 06:19
>クリスママさん
読んだ限りでは、特に間違った飼育方法はしてないと思いますよ。
水も草についているなら、それで大丈夫です。
草に水をつけても30分で乾くようなら、脱脂綿に水を含ませて、小さな容器に入れて飼育ケースにセットします。
全ての昆虫に万全の飼育環境を与えても、死ぬときは死にます。
特に広い面積を生活範囲にする習性のある昆虫を飼育ケース内に入れると、それだけでかなりのストレスになります。
人間の姿もひんぱんに見るようになり、落ち着けないわけです。
しかし、飼育は観察目的ですることが多いはずで、これは避けられないことでもあります。
人間本位の考えで恐縮ですが、飼育経験から得られる学習は、昆虫の命よりも大きなことかもしれません。
ひとつの命を犠牲にして学んだ知恵が、次の命を守るかもしれません。
それが飼育だと思ったりします。
今回も、貴重なことを学んだのではないでしょうか。
電池を入れれば無くなるまでは動くはずだという機械とは違って、ある日突然動かなくなってしまう…それが命というものだということです。
だからこそ貴重であり、大切なものなのです。
…そんな学習をしたと思いますよ(^O^)
Posted by ぁぃ♂ at 2008年10月08日 00:15
ありがとうございます。
おととい★になったばった、行事の関係で土にかえすことができず、(子どもたちと一緒にやりたかったので)子どもたちにも「お墓つくってやらなきゃ」と言われ、昨日埋葬しました。
他のばったやこおろぎについても、私から提案して自然に返しました。「いい声聞かせてくれてありがとう...」って声をかけながら...。

幼稚園では飼育だけでなく、栽培もしています。水やりをしたり、肥料をあげたり、支柱を立てたりと、一生懸命手をかけ、たくさん実をつけてくれたトマトやピーマン。秋になっても実をつけてくれていましたが、さすがに肥料をあげても実の色づきが悪かったりして、老いが感じられたので、「トマトやピーマンさん、がんばってくれたけど、おばあちゃんになっちゃったんだね。今まで、ありがとう」と、みんなで片づけをし、土を再生して、ブロッコリーや芽キャベツを新たに植えました。
まだまだ大人が声をかけなければ、捕まえっぱなしになりがちな子どもたちですが、一緒に生活しながら『命は大切なものだから、世話をしなきゃいけない』という義務感ではなく、親しみを感じているからこそかかわる(えさをやったり、掃除をしたり)という体験をさせていきたいと思っています。
Posted by クリスママ at 2008年10月08日 06:28
>クリスママさん
野菜の栽培いいですねー(^O^)
ゴールが結実というはっきりした形ですので、達成感がありますね。
それをまた食べる喜びもあり、うはうはですw
Posted by ぁぃ♂ at 2008年10月08日 22:11
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